鍋田のコラム

「夜空に煌く星のように」鍋田のコラム(本コラムは「青山心理臨床教育センター」のホームページのコラムと重なるものです)

 澄んだ夜空に輝く星を見つめると、永遠につながるような沈黙の中に、密やかに光り・瞬く星々が見える。そのようなときに、自分という存在が、何かあらゆるものを包み込む何ものかと一体になったような気がする。そして、深い透明感を感ずる。深い静謐な気持ちになる。このような気持ちで生き続けられないかとふと思う。
 しかし、日常の人々は多くの悩みを抱いて生きている。私も例外ではない。苦しみ、悲しみ、虚しさなど、人の悩みを表す言葉には限りがない。仏教には、生きること自体が苦しいものだという考えがある。しかし、人生に苦しみのあることは認めるが、生きること自体が苦しいものという考えには、私は賛成しかねる。素晴らしい喜びの瞬間、この世は天国のようだ。深い苦しみに入るとこの世は地獄のようだ。しかし、この世そのものは天国でも地獄でもない。時に天国のようなときや地獄のようなときがあるのが人生そのものだと思う。そして、ほとんどは淡々とした日常が続いている。
 他の生き物を見ると、与えられた環境で、黙々と与えられた能力を生かして、生き、そして、死んでゆく。そこには天国も地獄もない。少なくとも、そのように認識している様子はない。ヒトだけがこの世を天国や地獄に色づける。ヒトの抱く悩みそのものも、人が人生というキャンバスに自ら苦しい世界を描き出すために生まれることが多い。キャンバスには、もともと何も描かれてはいない。ヒトが知らず知らずに自分の心の世界を描いていくのだ。全てとは言わないが、人の悩み・苦しみの多くは、知らず知らずのうちに描いた自己像と、それを取り巻く世界に由来することが多い。このことは、精神分析をはじめ多くの臨床心理学派が発見したことである。このコラムでは、人の悩みの本質とは何かを考えてみたいと思う。(つづく)

「人の心の苦しみ・悩みとはー脳の病気について」
前回のコラムで、人は自ら悩みを描き出すものだと言った。確かに、そういうものもあるが、すべての心の苦しみや悩みが、そのようなメカニズムで生まれるわけではない。これから数回のコラムでは、人の悩み・心の苦しみについての全体像を示したいと思う。
(分類はWHOの診断基準であるICD-10を参考にして述べる。)
 まず、本コラムでは、脳の病にフォーカスを当てる。
心は脳にあることは確実だろう。だから、精神的な混乱や苦しみには、脳の病気が含まれる。精神科医は、これを見逃さないようにする訓練を第一に受ける。脳の不具合からくる病には、認知症、脳炎などの脳の炎症性障害、全身状態が悪化して脳の機能も乱れるような(例えばSLEの患者に精神症状が現れることは少なくない)症状精神病と言われるものが代表的なものである。認知症を除いて内科的な治療が必要となる疾患である。器質精神病とか症状精神病と呼ばれ分類される疾患群である。
 次に精神科臨床の中心ともいえるのが、統合失調症と双極性障害(躁うつ病)がある。両者とも脳内の伝達物質とその受容体の問題らしいことはわかってきているが、発症の原因などはわかっていない。両者はあくまで、脳の病気であり、治療としては薬物療法が中心となり、あとは、病気との付き合い方の心理教育や生活指導が治療の手助けをする。ここまでは、どの精神科医もやってくれる。
 また、生まれつきの脳の問題としては、精神遅滞と最近はやりの発達障害がある。両者には、医学的治療よりも療育的なアプローチが必要となる。とにかく、ここまで述べた疾患は生理的・医学的な問題か生まれつきの問題であるため、精神療法(カウンセリング)の対象とはなりにくい。もちろん、統合失調症の患者さんも病気を抱えながら、対人関係などで悩むので、精神療法がまったく不要であるということではない。ただ、治療の中心が薬物療法であることには変わりない。 
 今後、このコラムで、他の疾患について、そして、人の悩み全体について順次述べていく予定である。



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