どのような心理療法を選べばよいのか

どの治療法・セラピストを選べばよいのだろうか?
今回は、政治を離れ、皆さんが心理療法に関して知りたい、あるいは知っておいた方が良いことを書きたいと思います。
 世界においてもそうですが、わが国においては、様々な心理療法の学派・流派があります。そのため、自分に最適な治療法を選ぶことが難しくなってしまいます。皆さんも困っていらっしゃるのではないでしょうか。
 実は、心理療法の専門家ですら、例えば、精神分析だけを学んでいるセラピストは、他により効果が見込まれる治療法があるとしても、そのことについては詳しく知らないことが多く、誰が来ても精神分析をすることになります。もちろん、長年,精神分析をしていれば、精神分析に向いているクライエント、向かないクライエントの判断はできなくてはなりませんが、それも出来ていないセラピスト(精神分析ではアナリストと呼ぶ)がいるようにも思います。まるで信仰のように、その治療法に心酔しているセラピストも少なくなく、向かない治療法を受け続けているクライエントのいることも予想されます。これは、とても不幸なことです。わが国の心理療法のトレーニングの方法にも問題があることは間違いありませんが・・・。
  私自身は、入局した医局(慶応の精神科教室)が、当時、精神分析の一大拠点になっていましたので、精神分析のトレーニングを10年ほど受けました。これはある意味とても幸運なことでした。しかし、その後、精神分析に向かないクライエントが多くいることに気付き、臨床家として、クライエントにとって何が最も適した治療法であるかを判断できない、あるいは、そのことを判断するだけの勉強もできていないことに愕然とするとともに、臨床家としては、そのような状況は、大変、無責任だと思うようになりました。
そんな時に、アメリカのあるセンターでは、クライエントが受診すると、さまざまな立場の心理療法家が集まり、そのクライエントにとって、どの治療法が最適かを相談して、担当者を選でいると聞き、本来は、そのようなシステムが望ましいと考えるようになりました。しかし、わが国のどこにも、そのような施設はありませんでした。そこで、自分自身が、まず多くを学ぼうと考えるようになり、必死に他の治療法を学べる機会があれば学ぶようになったのです。30歳代は、このことに費やされたように思いますが、今思えば、心理療法という広く多様な世界を彷徨していたように思います。いろいろ大変でしたが、心理療法家としては当時が青春期だったと懐かしく思い出されます。
かくして、ゲシュセラピーやグループワークなどを学ぶとともに、個人的にも各学派の先生の指導を受けつつ、自ら立ち上げた東京精神療法研究会というクローストの研究会に、様々な学派の方に来ていただいて、精神分析ユング心理学来談者中心療法認知(行動)療法交流分析、マインドフルネスなどなどをケース検討会を中心に学んできました。たぶん、認知療法については、大野先生が帰国されて、すぐに研究会に来ていただいたので、まだ、認知療法が日本で広まる前に講義して頂いたので、大野先生にとっても、わが国での最初の講義だったのかもしれません。
そして、このような各学派の先生方に学ぶ過程で、わが国にも、多くの学派のセラピストがいて、各クライエントに適したセラピストが面接できる施設を作るべきだということになり、当時、上智大学の心理学部の教授をされていた霜山徳爾先生や大正大学の村瀬嘉代子先生、横浜国大の馬場謙一先生等に顧問をしていただき、この青山心理臨床教育センター・青山カウンセリングセンターを立ち上げたものです(センターのホームページをご覧ください)。このセンターは、少なくとも、力動的精神療法、ユング心理学,来談者中心療法、認知行動療法、マインドフルネス、そして統合的アプローチのセラピストがそろっているので、相談の申し込みがあれば、どの立場の先生が最適かを考えて、担当者を決めるシステムになっています。全てのセラピストは、私から見て、臨床能力の高い先生たちです。もちろん、全ての学派を網羅することは無理なので、まだ不十分な点はありますが、このようなシステムのカウンセリングセンターは極めてまれであると自負しています。

 深さはともかく、広く多くの学派を学んできたという意味では、わが国でも私ほどに、多くの多様な治療法を学んでいる臨床家はそんなにはいないのではないかと考えています。る。(詳しくは拙著「実践心理療法」に私の臨床家として学んできた道筋が書かれているので参照いただきたい。)
そういうことですから、どのような悩みには、どのような治療法が適しているかを語りうる立場にあると、少しは自負しているので、それについて今回は触れたいと思います。皆さんのヒントになればと思います。このようなことは、私の本以外は論じられていませんし、ネットを見てもわかりません。
 前置きが長くなりましたが、全ての治療法について語るわけにはいきませんので、今、わが国で広く行われている治療法・学派について大別して二つのグループに分けて述べたいと思います。
 まず、わが国で長い間、心理療法の中心的な存在であった学派を一つのグルーブとして述べます。それは、力動的精神療法(精神分析を含む)、ユング心理学、来談者中心療法です。これらの学派は、ある意味、症状や問題点を焦点化して治療する立場というより、人生全体を扱う治療法であることを知ってほしいと思います。それゆえ、あまり症状を治すとか、特定の問題を解決するとか、何かを訓練するという立場はとりません。厳密に、これらの学派を遵守しているセラピストほど、問題解決的アプローチはしません。今一つのグループの代表ともいえる認知行動療法は、その反対で、症状を治すこと、問題を解決することに焦点を当てます。これ点については、後に触れます。
 まず、力動的精神療法は、人生全体を扱うアプローチとして、幼児期から特に親との関係性を重視します。そして、その人の生きてきた人生のテーマが、基本的には、誰との関係で形成され、それために、どのような苦しみを抱くようになったかを明確にします。そして、その重要な他者との関係性がセラピストとの関係性にも反映されること、ひいては全ての人にそのようなイメージを無意識に向けてしまうことが、悩みの根底にあると考えます。フロイトは当初、父親への恐怖感が、もっとも普遍的にみられる(少なくとも息子にとって)恐怖感であり、それが何かものに投影されて、様々な対象に恐怖を抱くようになると考えました(実は、彼自身がそうだったようです)。 そして、それがセラピストにも投影される(転移されるという)ので、そのことをセラピストとともに明確化し、その恐怖の対象、恐怖の体験に直面化しながら、克服するという作業を行うのが、力動的精神療法です。そのような考えのもとに、週三回から四回以上の面接を寝椅子を使い、自由連想法という方法を使う場合を「精神分析」とよびます。そういう意味では、週一回で対面法で行っているわが国の多くの精神分析家は、精神分析をしているのではなく、力動的精神療法を行っていることになります。
 そのため、当然、幼児期からの親あるいは重要な他者(母親はもちろん、祖母とか、同胞、養母なども含まれる)との関係性に問題のあるクライエントに向いた治療法です。誰しも、葛藤のあった対象は居るものですから、自分の人生における他者の意味を考えてみるのには適した治療法です。また、幼児期からの親子関係の問題が噴出するのが、思春期の特徴ともいえますので、思春期や青年期の問題にも力動的精神療法は向いていると思います。私自身も、この理論に当てはまりそうなクライエントには、このアプローチで面接します。
 しかし、全ての悩みや症状が幼児期からの他者との関係性から生じているとは限りません。そのような場合は、治療法としては的外れな治療になることもありえます。ある高名な精神分析家は、「精神分析は治療には向かない。あるいは治療を目的としてはいない。」とはっきり言っておられます。実は、厳密に力動的精神療法あるいは精神分析を行う場合は、ヒステリーと不安定性人格障害(境界性人格障害ともいう)という性格的な問題に適していると考えています。少なくとも、他の精神科的症状(不安、恐怖、強迫、妄想などなど)には向いていません。
来談者中心療法では、共感と無条件の受容が理論の柱となっているように、ひたすらクライエントの悩み、苦しみ、日々の心の在り様を、共感的に傾聴し、深く受容することが人の心の健康度を増していき、結果、悩みや症状が解決されると考えています。そのため、ひたすら、クライエントの話を丁寧に真摯に聞くという作業がなされます。そのため、下手なセラピストだと、ただ、話を聞いてくれるだけという感じにも陥りやすい治療法なのです。この考えのもとに臨床をしているセラピストは、わが国では多数を占めているのではないかと考えています。わが国には、この来談者中心療法が最初に紹介されたため、ある年代までは、心理療法と言えば来談者中心療法だったので、一定の年齢よりも高い世代のほとんどは、この来談者中心療法を学ばれたと思います。他者に深く共感してもらう体験、本当に信頼できる他者に出会い、心の深いところで響きあいながら、時を過ごすことなどは、驚くほどの力があることも本当です。しかし、症状を治したいとか、ある問題を解決したいという場合には、時間がかかるとともに、問題解決そのものを目指さないので、やや、手応えがないという印象を抱かれる方も多いかもしれません。たとえて言うなら、症状・病気に特化した治療をする西洋近代医学に対して、体質そのものを改善させて、結果、症状などが消えるのを目指す漢方の考え方に近いともいえましょう。そういう意味では、あらゆる症状や問題に対しても行えるアプローチであり、危険性あるいは副作用も少ないのですが、特定の症状や問題に効果的、あるいは適しているという学派ではないと思います。
河合隼雄先生が帰国し、広く広めたこともあって、今やユング心理学を学んで臨床家になられる方も増えています。ユング心理学(分析心理学ともいう)においては、無意識の何モノかが動くことで、何らかの変容が起きると考えますので、治療は無意識と如何に繋がるかということが大切になります。夢分析も箱庭療法もそのためのものともいえましょう。そのため、精神症状も含めて、今ある具体的な問題を解決するというアプローチをとらないために、問題が具体的であればあるほど、役立ちにくいアプローチともいえます。ユング派には、「すぐ役立つものは無意味だ」という考えを述べている方もいるぐらいです。私はこの考え方には賛成できません。
結局、最も適しているのは、明確な精神症状もなく、何か人生そのものに行きづまったような方に向いているように思います。そういう意味では、すでに述べたように、思春期よりも中年期のクライエントに向いていると思っています。この意見については、ユング派の先生方は不満に思われるかもしれませんが、ユング自身も同じことを言っています。

次に今一つのグループについて述べたいと思います。
これまで述べた力動的精神療法、来談者中心療法、ユング心理学が、人生全体を問題にしたため、かえって、特定の症状や問題そのものを解決するというアプローチがなされていなかったことに不満を持った多くの臨床家が、新たなアプローチを提出した。それが、認知(行動)療法、対人関係療法、問題解決療法などです。その中でもっとも受け入れられたのが、認知行動療法です。今は大流行であると言っても差し支えありません。
このアメリカ生まれの学派は非常にアメリカ的な特徴を帯びています。それは、期間が限定していること、治療がプログラム化されていること、学習的・訓練的な色彩が強いことです。(これらの学派がアメリカで流行したのは、保険制度から影響を受けたとも言われています。一定期間に効果が得られないと保険がおりないからです) しかも、すでに述べた人生全体を扱う学派には、よく言えば、それぞれの人間学がベースにあるのですが、この学派には、症状の背景にある考え方の癖(自動思考という)に問題があると考え、それを修正するアプローチをおこないますので、悪く言えば人間学がありません。それだから、わかりやすいし、はまれば短期間で効果も表れます。
対人関係療法も問題解決療法も認知行動療法に含まれて語られることも多いので、ここでは認知行動療法について述べます。この学派は、人生全体を扱う学派と異なり、問題が具体的であればあるほど適した治療法なのです。その問題の代表が、不安性障害、軽度の抑うつ障害であり、この二種の障害の治療法として、ベックが確立したものですが、その後、各種の症状や問題にも適応されるようになっています。私自身として、認知行動療法に向いているのは、不安性障害(各種恐怖症も含む)、軽度の抑うつ障害、複雑性ではないPTSD、場面恐怖症的な軽度の対人恐怖症などではないかと考えています。もちろん、認知行動療法の内部では、治療対象を広げようとしていますし、様々に修正されたアプローチ(スキーマ療法のように)も提案されてきています。この学派はわかりやすいので、ネットを見ていただくだけで、大体の枠組みが理解できますので、これ以上は述べません。

上記に述べた学派以外でも、一時期、わが国でも、ある程度、流行した学派として、交流分析、ゲシュタルトセラピー、家族療法(特にシステムズアプローチ)などがありますが、これらの学派で臨床をしておられる方は極めて限られるようになっています。この傾向はアメメリカでも同様の状況のようです。そのため、ここでは触れません。(当センターにも、この学派の方は居ません)。
また、わが国で発案された森田療法と内観療法も、それぞれ優れたものですが、極めて限定それた病態や悩みに向いているので、それらを紹介している本などを読んで、自分に向いているかを考えたうえで、受けて見られるのもよいでしょう。
以上で、わが国で行われている心理療法は、ほぼ網羅されたと思います。

最後に、
今回は、少し乱暴ともいえるほど、各学派の特徴とその学派に適した症状や問題について私見を述べました。皆さんの参考になることを願っています。次回は具体例を挙げて、心理療法の行うこと・行わないこと、出来ること・できないことについて述べる予定です。

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