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<<   作成日時 : 2016/10/14 12:19   >>

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今回は、すでにお話ししたように、9月に「実践・心理療法」というほんを発刊しましたが、その本の第5章の「神経科学(脳科学)から見た心理療法」という章をすべて載せました。興味ある方は読んでみてください。

ここ20~30年の神経科学による脳機能の研究はかなり進んでいる。精神療法もこころを扱うわけであるから、脳機能の知見について参考になることが多いはずである。私なりに神経科学について学んでみると、まだまだあいまいな点があるが、精神療法を考えるうえで参考になる知見があるので、その点を述べたい。

1:「夢」「単一恐怖症などの症状」「クライエントの話の全て」に象徴的な意味があるわけではない
A: 「夢」について
「夢は無意識への王道である」といわれたとおり、「夢」は深層心理学の花形であった。そして、「夢」の内容がいろいろと解釈されてきた。しかし、最近の研究では、海馬(主に短期記憶を長期記憶に変換する場所)が中心となって、昼間の記憶の断片をでたらめに組み合わせているという説が有力になっている。また、夢を見ているREM睡眠中は脳の深部にある脳幹というところから刺激がランダムに発生しており、その刺激が夢の発生に関与しているのではないかという説も有力になっている。この説を唱えているホブソン(Hobson,J.A.)らは「夢は脳幹から与えられたまとまりのないイメージから理にかなった体験を作ろうとしている」とか「夢は泡のようなものだ」とさえ言っている。どちらにしろ、「夢」の内容に象徴的な意味はなさそうだ。(このような説は仮説であるが)
神経科学ではないが、別の実験で、夢を見ているときに何か刺激を与えると大きく夢の内容が変わることは確認されている。たとえば、顔に息を吹き付けると、ある人は嵐の夢を見る、ある人は浜辺で海風にあたっている夢を見るというように。もちろん身体刺激も夢に関与する。特に尿意を催すと、トイレの夢や、いろいろな状況で排尿している場面を見る。これほど刺激で影響を受けるのだから、「夢」の内容の全てに象徴的な意味や人生上のテーマがあらわれているとは考えにくい。もちろん、異論を唱えている研究者もいる。まだ精神分析の影響が強かった1976年のアメリカの精神医学会で、フロイトの「夢理論」を指示するか否かの投票がされたときに、圧倒的に反対意見が多かったとのことである。

B: 恐怖症について
「雷が怖い」「クモが怖い」などの単一恐怖症の対象も、人の深い悩みや対人関係上の悩みに還元することはできないことも神経症科学によって確認されてきている。このことは私自身、臨床でも感じていた。脳には、危険な対象や好みの対象を察知するためのシステムとして扁桃体がある。この中のニューロンには「へび」にだけ反応するニューロンや、好きな「メロン」にのみ反応するニューロンなど、個々の対象と一対一の働きをするニューロンが確認されている。どうも、扁桃体には、このような危険なモノ・好きなモノの検出器となるニューロンが膨大に集まっているようだ。それらが先天的に備わっているか後天的な学習により備わるかは確認されていないが、ある程度は先天的に備わっているのではないかとか考えられる。なぜなら、蛇などのように皆が恐れる対象は、脱感作的なアプローチではほとんど効果が得られないからである。一方で、ウサギを見るたびに大きな声で脅された赤ちゃんはウサギ恐怖症になる。だから経験がベースになっているケースもあるかと思われるが(扁桃体はある種の長期記憶を蓄えるところでもある)、比較的シンプルなメカニズムで症状化する可能性が高い。
このようなことから、恐怖対象に全て人生上の深い意味、例えば、精神分析が考えたような去勢恐怖がシンボリックに現れるというのは、誤った理論化だったと考えられる。ちなみに、「馬恐怖」のハンス少年の場合は、父親がフロイトに相談し、エディプスコンプレックスによる去勢恐怖が象徴的に現れたものと説明され、フロイトの指導を受けた。その治療記録を、後年、ハンス青年が読んだとき「これは誰のことか」といったというエピソードがある。いろいろ解釈は成り立つが、去勢恐怖に思い当たることがなかったのではないかと思う。もちろん、父親がフロイトに相談していたことそのものの治療的な意味は否定できない。また、父親がフロイトの話で納得したのであれば、そのことがハンスとの関係を変えて、良い結果が得られた可能性は十分にある。
このような報告から単一恐怖症の治療には行動療法的アプローチがフィットすると考えている。古くから、イギリスでは恐怖症には行動療法的アプローチが盛んである。

C: クライエントの語る内容全てに象徴的な意味があるわけではない
脳の活動の7~8割は自発活動(勝手に発火する)が占めていることがわかってきている。これらの活動は相互関係の中でシーソーのように揺らいでいるとのことである。そのうえ、脳の活動は、同じ入力(刺激といってもよい)に対して毎回同じ出力がなされるとは限らない性質がある。電卓に例えると、いつでも同じ計算結果が得られるのではなく、その演算形式自体が揺らいでいるので、異なる結果が出力されることがあるということである。どうも、脳の活動からは精神活動は因果関係で理解しにくい性質があるようだ。このようなことからも、クライエントが語る全てのことに人生上の何かが象徴されていると言えなさそうだ。言い換えれば、たまたま、話してくれることや、何か誤解して話していたり、時には、作話(作り話)のような内容が語られることもありうる。私が精神分析のスーパービジョンを受けた折、「クライエントの語ることだけではなく態度・素振りにもすべて意味があるから見落とさないように」といわれたことを思い出す。当時から、私は全てではないだろうと思っていた。
このようなことから、精神療法での話しのきき方は、全てに意味を見出そうとする強迫的な聞き方は向かず、交響曲を聞くような態度で聞くのが良いかと考えている。「ああ、ここでいつもの第一主題がでてきたな」「この第二主題は、苦しみをたたえているな」「何か、よくわからないモチーフ、あるいはモチーフともいえない断片が出てきたな」と自由な気持ちで聞くのが良いかと思う。そして、全体を通して聴けば、あるいは何度も聞くと、クライエントの心の世界が全体として感じ取れるようになり、そうすると中心テーマもある程度同定できるのではないかと考えている。

2: ミラーニューロンと共感
私は精神療法を学び始めた時、共感とは「相手の気持ちを創造すること」だと思っていた。しかし、自分の子ども育てていると、子どもも私のそぶりを写し取るように真似することが多く、また、私が無意識に子どもの笑顔そっくりな顔をしていることにも気づくことが多かった。どうも、そぶりはもちろんのこと、気持ちなども直接響くものではないかと考えるようになっていた。
 そんな折、ミラーニューロンという神経細胞の発見をきいて、やはりそうかという思いであった。ご存知の方も多だろうが、このミラーニューロンは、他者がしている意図的な動作を見ているだけで、その動作をするときのニューロンを鏡のように活性化させるニューロンである。つまり、人は、相手の動きを自分の中に写し取ることを通じて、相手の意図を理解しているらしい。
 まだ、詳細な意味などは分かっていないし、早急に、感情を写し取るニューロンもあると決めつけるわけではないが、動作を写し取るニューロンがあれば、表情筋などの動きも写し取る可能性は高く、けっか、相手の気持ちを写し取る能力を神経のシステムは持っている可能性が高い。また10歳の子どもに「共感テスト」をすると、共感の高い傾向を示す子ほど、ミラーニューロンの部位の活動が高い傾向を示したという報告もある。また他者の気持ちを読むことが苦手な自閉症の子も、この部位の活動が低いことも報告されている。このようなことから、ミラーニューロンが他者の気持ちに響き合うことにも関与している可能性が高い。そうなると、共感とは、想像するというような複雑な機能ではなく、反射に近い響き合いようなメカニズムで起きている可能性が高い。
また、「他者の精神状態を想定する能力」とされる「心の理論」に関する能力も画像診断技術の研究からミラーニューロンシステムが関与いていることが確認されている。また、人間でミラーニューロンシステムに関与しているブロードマンの44野は、12歳ごろまでは発達する可能性があるとされている。共感性の高い子を育てたいときは、12歳までが大切かもしれない。
 このことは臨床的には、以下の二点で重要な意味を持つ。
 まず、第二章の「人は何を悩むか」で、不快感情は親から直接、響き合うことで身に付く可能性があることを述べた。つまり、不安、恐怖、抑うつなどの感情への過敏さ、あるいはそのような感情を抱きやすい傾向には、複雑な関係性などの問題よりも、ミラーニューロンを介して、かなり直接的に子どもに響き、そのことが長じて問題化する可能性があるということである。そのようなメカニズムであれば、複雑な人間関係が絡んだメカニズムを探るより、より直接的に、そのような不快感情と、不快感情から生ずる悪循環にアプローチした方が良いと考えられる。このアプローチについてはすでに述べたので繰り返さない。
 いま一つは、このような反射的な共感と、ロジャースの言う、能動的共感とでも言えるような共感とが同質のものかという点である。「何となく、こんな気持ちが響いてくる」という共感と、全人的な共感、「我と汝」とでもいえる共感とがどのような関係にあるのかは難しい問題かと思っている。
 ただ、クライエントに対して、直感的に「こんな気持ちかな」と感じたら、あながち、セラピストの勝手な感だけではない可能性があるということだ。他者の気持ちへの感性の高いセラピストにしばしば出会う。そういうセラピストはミラーニューロンが発達しているのかもしれない。

3: オキシトシンという人をつなぐホルモン
オキシトシンというホルモンは、古くから子宮の収縮と乳汁分泌促進の効果を持つことで知られていたが、最近の研究で、他者とのつながりを促進する働きなどを含め心に重要な影響を与えるホルモンであることがわかってきた(オキシトシンの働きとバソプレッシンのそれとはかなり近似している。また、子どもとの絆についてはエストロゲン、プロゲステロン、プロラクチンも関与しているが、話が複雑になるのでオキシトシンのみについて話す。)。
たとえば、母親から離された子が切ない声をだすと(isolation call)、母親の脳でオキシトシンが分泌される。すると母親は子どもを抱きしめたくなる(プロラクチンが関与しているという報告もあるが)。そして、抱きしめると子どもは異なるトーンの鳴き声を発する。そしてオキシトシンの分泌は元に戻るという報告がある。私は、このような鳴き声が音楽の起源となっているのではないか、少なくとも、人を恋うる切ない歌の起源は、このような鳴き声ではなかったかと考えている。
また、草原にすむプレイリーハタネズミと山岳に住む山岳ハタネズミでは、前者のオスは、一夫一婦制を守り、つがいの相手を失っても、たいていは(80%程度)、新しい相手を拒み(絆を全うする?)、生まれた子どもの世話も熱心に行うが、後者のオスは乱婚であり、生まれた子どもの世話もしないことが知られている。その違いは、前者がオキシトシンを感じ取る受容体が後者に比べ非常に多いことにある。つまり、前者の方がオキシトシンの機能が高い。このことから、オキシトシンには、安定した関係性を維持しようとする傾向、子どもを育くむ傾向を高める働きがあることが推定される。このことは子どもを持ったことのない雌ネズミにオキシトシンを与えると、子育ての経験がなくても子どもを世話するようになることからも推定される。人間は、乱婚型から、一夫一婦制へ、つまり、山岳型から草原型に移行しつつあるような気がする。世代間での男性のオキシトシンを計ってみるのも面白そうだ。
ただ、最近の研究では、つがいの絆の形成にはドーパミンの関与が注目されているので、それほど簡単なことではなさそうだ。ただ、ラットや猿などの研究で、ほぼ間違いないとされるのは、オキシトシンが母性行動、性的受容性、雌のつがい絆を強め、社会的記憶(他者とのかかわりの記憶)、子どもの記憶を強め、グルーミング行動を増やすことである。また、同性のラットにオキシトシンを投与すると、群れる傾向が強くなり、接触を恐れなくなり、集団内での攻撃性が減り、友好的な交流が増え、お互いの近くにうずくまるようになる。そして、このようにお互いの近くにいることによって、オキシトシンの放出が増し、オキシトシン値はさらに高くなるという報告もある。
あるオキシトシン研究者は「オキシトシンは生理的な意味での『勿忘草』である。一緒にいるときにオキシトシンが放出されるとお互いを忘れがたくなる」と言っている。
自閉症の子は、オキシトシンの血中濃度が対照に比べ約半分という低い値を示したという報告もある。また、ほとんど養育をされなかったチャウシェスク政権化のルーマニアの孤児院で育った子は、自閉症的な傾向を示し(児童精神科医である杉山登志郎氏は「チャウシェスク型自閉症」と呼んでいる)、オキシトシンの血中濃度も低く、里親に世話をされてもオキシトシンは増えなかったという報告もある。オキシトシン受容体遺伝子が自閉症の候補遺伝子としても報告されている。
このようなオキシトシンの最近の知見には臨床的な意味がいくつかあると思う。ひとつはオキシトシンによる治療である。すでに、自閉症にオキシトシンを投与すると他者の感情表現の理解が高まったという報告もある。また、BPD対しては、オキシトシンの投与で、ストレスに対する感情反応が低下するという報告もある。オキシトシンには、恐怖を感ずる扁桃体の抑制効果があるので、恐怖症の治療にも役立つ可能性もある。
また、猿の研究で、グルーミングを豊かに受けた子どもはオキシトシンの血中濃度が高いことが知られている。今後は、アタッチメントの研究などで乳幼児の愛着行動の研究に一役買う可能性が高い。
逆に、精神療法のような濃厚な関係性そのものがオキシトシンの血中濃度を高める可能性も否定できない。オキシトシンの社会心理学的研究においては、人においても他者への信頼感とオキシトシンが関係しているという報告もある。このような機能は治療促進因子では、「治療者自身の存在」「響き合いーecho-function」の因子に通ずるであろう。また、精神療法と並行してオキシトシンを投与すると効果が高まるかもしれない。すでにPTSDに対して用いるとCBTの治療効果が挙げられるという報告がある。近いうちに、外来でオキシトシンの血中濃度を計ってから精神療法の是非を決める日が来るかもしれない。

4: 左脳的機能と右脳的機能―精神療法の大きな二つの流れに対応する
左脳と右脳の皮質とでは機能が異なることは間違いない(以下は言語野が左脳にある95% の人について述べる)。このことは、左脳と右脳をつないでいる脳梁の切断手術や、左脳か右脳のみに脳血管障害が生じた時の症状の分析、最近では、実際に脳が何らかの機能を果たしている時の脳画像の解析などから確かめられている。しかも、左右の脳は機能によっては、どちらかが有意に働くこともわかっている。一時期、都市伝説のように「右脳を育てよう」などのように極端な話がひろまったこともあるが、なかなか難しい問題は残っている。しかし、概ね、以下のことは言えるようである(多くの一般書もあるので詳細には述べない)。
左脳は言語機能をつかさどっていることからわかるように「分析的・逐次モード」右脳は「全体的・並列モード」で情報を処理していることは間違いない。つまり、左脳は、時間軸に沿って物事をとらえ、論理的であり、部分に分けて分析的に認識する。一方、右脳は顔や表情を瞬時に把握することからもわかるとおり、物事を並列的および全体として捉え、音楽のリズムやメロディー、身ぶり、空間把握を得意としている。
左脳に出血を起こし、一時期、右脳有意の状態になった脳科学者のジル・ボルト。テイラー(Taylor,JB.)によれば、自らの体験も含め以下のようなことを言っている。以下に抜粋する。
「左脳マインドは、あらゆるものを分類し、組織化し、記述し、判断し、批判的に分析する。・・・。完全主義者であり、…『すべてのモノには決まった場所があり、全てのものはその場所に属す』という」
「明確に線をひいて、境界を明確にする能力に優れている」
「少ない情報から物語を作り上げる能力に優れている」
「左脳はくそまじめです。歯ぎしりしながら、過去に学んだことに基づいて決断します。あらゆることを『正しい・まちがっている』あるいは『良い・悪い』で判断します。」
「右脳マインドは、あらゆることが相対的なつながりの中にあります。ありのままに物事を受け取り、今、そこにあるものを事実として認めます。」
「右脳は長い波長の光(音もより低音を)を知覚する能力にたけているため、知覚はとけて柔らかい感じになります。・・・知覚が鈍いことで、より大きな絵(心像)に集中します」
「今、この瞬間、私は完全で、一つで美しい。私は宇宙で無垢で平和な子ども」と感ずるのも右脳によるとしている。
そして、彼女は生きとし生けるもの・宇宙そのものとも一体化する「ニルバーナ」を感ずるのも右脳マインドだと言っている。
以上のことから、完全に左脳・右脳の機能に還元できるか否かは問題が残っているとしても、人の精神活動には、左脳的モードと右脳的モードがあるらしいことは間違いないようだ。このことは精神療法の臨床に何をもたらすだろうか。
一つは、人の悩みの多くは左脳モードから生まれる可能性が高いという認識だ。全ての体験を物語化し、あるべきところに収めようとし、善悪で判断し、他者との境界を明確にするために対立を鮮明にする左脳モードが、容易に悩みを生むことは想像できる。また、逐次的な認識をすることから考えられるのは、未来に対してクヨクヨし、過去について後悔し続けるのも左脳モードのようだ。どうも、仏教などでいう人の悩みのほとんどは左脳モードからくる可能性が高い。
そして、精神分析やCBTなどは、このマイナスに傾いた物語や認知スタイルを明確にし、分析し、修正しようとすることが主な営みだとすれば(もちろん、もっと他の働きかけもあるが)、左脳モードの悩みを左脳モードで分析し修正しようとする作業といえそうだ。そのため、この作業は言語的な作業が中心となる。つまり、私が治療促進因子として述べた「知的因子」は左脳モードの作業といえよう。左脳を働かせると気分はやや躁的になる傾向があることもわかっており(右脳は反対にうつ的になる)、そのことも何らかの効果があるかもしれない。
一方で、右脳マインドが優位になると、人との境界があいまいとなる傾向(一体感をまし、孤独感を減ずる)や、響き合う傾向が強くなり、善悪などで判断することも少なくなる可能性がある。テイラーは、右脳マインドの時には喜びに満ちるとも言っている。もしそうなら、右脳マインド優位にする働きかけが人の悩みを解消・軽減する可能性がある。そのように考えてみると、ユング派の河合氏の「何もしないようにする」という態度も理解できるし、「箱庭」に対して、セラピストが言語的解釈をしないで、箱庭体験そのものを大切するという態度なども理解できる。それは右脳マインドを高めるアプローチをしている可能性がある。「セラピストがただ、そこにいる」という態度や「あるがままを大切にする」という態度こそ右脳マインド的といえよう。これは森田療法の禅的な考えに通ずる。そういう意味では、芸術療法は極めて右脳的作業であり、その治療的な意味を言語的に論理だてること自体がナンセンスということにもなる。ひたすら、良い条件で安心して創作活動に没頭すれば自ずと治療的な意味があることになる。このような想像的・創造的営みは治療促進因子の「想像的・創造的因子」に相当するだろう。また、第一章で触れたユング派の治療の働きが理解しがたいと述べたが、言葉で理解しようとすること自体に無理があった可能性がある。
 精神療法においては、どちらのモードも大切であろうが、自分が、どちらのモード優位なアプローチをするかを意識している必要はあるかもしれない。

5: 体験の「再評価」が感情の修正をする
大脳皮質は、感情のシステムの中心部に働きかけて情動反応についての認識を修正することがわかっている。たとえば、ほかの何かに注意を向ける、つまり「気をそらす」と感情に関わる脳領域の活動が低下することがわかっている。自律訓練や催眠などで気持ちが落ち着くのも、不安などから気をそらしているからかもしれない。
しかし、「気をそらす」のは一時的な効果しかないので、臨床にはそれほど役立たない。それよりも持続的に感情を調整する方法としては「再評価」がある。「再評価」は「前頭前野」「前帯状回」が関わっていて、感情的な刺激を解釈し直そうとする人は、これら二つの領域が活性化することがわかっている。そして、再評価がうまくいくと、感情にかかわる他の脳領域にも、外にあらわれる感情の変化と一致する変化が起きることもわかっている。たとえば、ある体験をそれほど怖くはないと再評価すると、扁桃体の活動が低下するなど。しかも、前頭皮質が大きい人間にとっては、このような機能が働き訓練しやすい可能性もある。このように考えると、精神療法そのものの作業は、クライエントの体験を再評価することかもしれない。特にCBTなどは、このことを積極的に行っていると言っても良いだろう。
治療促進因子の知的因子の本質は、この「再評価」である可能性が高い。

6:「恐れている」のか「嫌悪」しているのか
人の基本的な感情には、「恐怖」「怒り」「悲しみ」「幸福」「驚き」「嫌悪」の6種類あると言われている。それは表情筋の動きからも区別でき、人種や文化が異なっても普遍的であるし、生後まもない子ども見分けることができることから、生まれつき備わっていると考えられている。そして、それぞれの感情を抱くときに活性化する脳の部位もかなりわかってきている。中でも、「恐怖」と「嫌悪感」は表情筋の動きからも、脳の活性化している部位からも、まったく異なる感情であることが確認されている。すると、人の悩みも、「悲しみ」などを別にすれば、「恐怖」と「嫌悪感」の系列でまとめられるかもしれない。もちろん、恐怖症やPTSDなどは「恐怖」をベースにしている。それでは、「嫌悪感」をベースにした悩みは何であろうか。私は、対人恐怖症者は自分を嫌っている可能性が高いと考えている。つまり「自分への嫌悪感」が中心にあると考えている。しかし、対人恐怖症者の場合は、「自分が嫌うような存在は他者からも嫌われるに違いない」という恐れを抱いているので、重なっている可能性もある。対人恐怖症者よりも、より「嫌悪感」を抱いているのが身体醜形障害の患者ではないかと考えている。この障害に苦しむ患者は、自分の容姿を恐れているわけではない。他者から嫌われる恐れも、少なくとも意識レベルでは感じていないことが多い。ひたすら、自分の容姿を強く嫌悪していると考えられる。摂食障害が太った体を拒否するのも「嫌悪感」である可能性が高い。もちろん、拒食症の場合は、肥満恐怖が伴うことも多いので、やはり、「恐怖」と「嫌悪感」が重なっている可能性は高い。
そして、すでに第二章の「人は何を悩むのか」で、自己疎外的な生き方をしてきたクライエントには、「自己嫌悪」が伴うと述べたが、そういう意味では、「偽りの自己」の背後に「自己嫌悪」が存在するとも考えられる。そうならば、「恐怖」への精神療法的アプローチとしては、行動療法的アプローチがフィットし、「嫌悪感」へのアプローチは、生き方全体を扱うアプローチがフィットする可能性もある。

7: 神経科学から見た精神療法的アプローチの意味
これまで精神療法に関連しそうな神経科学的な知見を述べてきた。それらをまとめると以下のようになるだろう。
まず、セラピストとの関係性そのものから、ミラーニューロンなどの機能により共感が生まれるだろう。この共感をベースにして、セラピストとクライエントの間に信頼感が増せば、オキシトシンの機能が増す可能性がある。すると、孤独感は緩和され、不安・恐怖感が減じ(オキシトシンは扁桃体を抑制する)、より穏やかな気持ちを生む可能性があり(オキシトシンは報酬系にも作用して穏やかな気持ちを生む作用もある)、安心感が生まれるだろう。
そして、知的な作業としては、様々な体験を再評価することで、体験の意味づけが変われば、不快体験などの意味づけが変わり、それらを緩和することができる。これは、CBTの認知の修正や精神分析の洞察につながるアプローチだろう。
また、クライエントのあるがままを受け入れることや、「箱庭」や創作的な作業を通じて、右脳が活性化され、人の悩みを生むとも言える左脳的な判断や価値観から離れ、自由に生きられるようになる可能性がある。
精神療法の営みは、このような様々に脳機能に働きかけるアプローチが組み合わされているのではないかと考えている。いずれ、「神経臨床心理学」という分野が発展していくのではないかとも考えている。

さいごに
そのほかにも精神療法に役立ちそうな神経科学の研究はある。特に様々な病理が神経科学的に解明されつつあり、それがいずれ精神療法に生かされる日が来るだろう。
たとえば、報酬系とaddictionとの関係、扁桃体を中心とした恐怖換気システムの過活動と不安性障害、PTSDなどの問題、自伝的な記憶と悩みの関係、システム間のコネクションの問題と解離症状との関連などである。しかし、現時点は、参考にはなるが、精神療法にダイレクトに役立つレベルまで達していないと感じている。
いずれ、脳の一部を刺激・抑制するTMSなどが進歩すると、様々な神経症症状・悩みを解消しうる時代が来るかもしれない。私自身、右脳を適切に刺激し、左脳を適度に抑制すると「ニルバーナ」を体験できるのであれば試してみたいと考えている。


いかがでしたか。今後、この領域は発展していくと考えています。私としては、マインドフルネスと光トポグラフィーから始めてみようかなとも思っています。

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